
水戸藩9代藩主徳川斉昭は今から170年前の1841年に藩校「弘道館」を開館。
国内は停滞した社会・行き詰った政治、国外はアヘン戦争といった社会情勢の中で国を元気にするには、まずすぐれた人材・真の日本人を育成しなければならないという考えのもと建設されました。
当時の藩校としては国内最大規模で、文武両道はもちろん医学、薬学、天文学、蘭学まで幅広い学問が取り入れられていたユニバーシティでした。
徳川斉昭は学ぶ場として弘道館を創設するとともに、修学の休養の場として千波湖岸の景勝地に偕楽園を造営しています。
「弘道館」と「偕楽園」は徳川斉昭による、水戸元気プロジェクト・日本元気プロジェクトを具体化したものだったわけです。
国難をのりきるのはやっぱり人の力だってことを教えてくれます。
それは「弘道館」の名称からも読み取れます。
「弘道館」とは、『論語』にある「子曰(しのたまわ)く、人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道 人を弘むるにあらず」からとったもの。
これは
「人間が常に努力することによって道は切り開かれるのであって、道が人間を切り開き拡充するのではない」という意味です。
子どもむけの解説書にはこんなふうに書いてありました。
「道は自分で切りひらいていくもの。どのような人生にするかは、自分で決めて、実現していくものなのです。誰かが作ってくれるわけではないのです。理想の道を求めて、力強く生きましょう。」
未来が見えにくくなっている未曽有の大震災のあとだからこそ「ひとのみち」を示したこの言葉が身に染みてきます。
この「弘道館」も地震で被害にあい現在閉館中です。
弘道館の塀もボロボロでした。

弘道館裏手にある孔子廟も外壁が崩れていました。

創建時に造られ、藩校のチャイムの役割をしていた学生警鐘のやぐらは全壊でした。
この度の震災の中で個人的にもっとも気になっているものがこの「弘道館」の中にあります。
「弘道館」軒下にかかっていた斉昭自筆の「游於藝(芸に遊ぶ)」という扁額です。

この「游於藝」という言葉は『論語』の「子曰 志於道 於徳於 依於仁 游於藝(子曰く、道に志、徳に拠(より)、仁に依(より)、藝に游ぶ。)」から取ったもの。
「藝」とは礼儀・音楽・弓術・馬術・習字・算術の6つをさしています。
学問武芸に凝り固まらず、楽しみながら勉強するという意味です。
もっと簡単に言ったら
「よくまなび よくあそべ」です!
この額、壊れてないかなぁ・・・心配です。
もし情報をお持ちの方がいらっしゃいいましたら教えてください。
多くの先人が学んだ水戸藩の藩校「弘道館」は
幅広いものの見方・考え方をもち自分の力で道を切ひらくことこそ「ひとのみち」だと学ぶところ。
この教えのようにありたいものです。
今回の東北関東大震災を通して学ぶこと、学ばなくちゃならないことがたくさんあります。
TVの震災報道内容も少しずつ変わってきました。
津波や原発の事故の映像ばかりだったのが、自分の街を復興しようとしている人々の姿が多くなっています。
被災地以外の人たちが何ができるかという報道も。
人の力を信じたいですね。
テリーでした。