ロケ地探訪(第10回) 「弘道館」 -茨城県水戸市-
きっちょむです。こんばんは!!
映画を観てからは初めてとなりますが、本日、
「弘道館」に行ってきました。 約150年前には実際に徳川斉昭公がその場に居られたという本物の雰囲気に加え、つい1年前には映画で斉昭公役の北大路欣也さんがお芝居をされていた場所・・・そこに足を踏み入れると何とも形容し難い気の引き締まる思いを感じます。これぞ
「幕末リアリズム」です!!
弘道館については、
斉昭紀行(4)「弘道館」 をご参照下さい。
では、いつものように、映画のシーンをできるだけ思い起こせるように補足を入れながら、ロケ地をご紹介しますね。
まずは、観覧者入口を入る前に、「正庁玄関」を外から観ておきましょう。映画の冒頭で、ここから国会議事堂にオーバーラップしていきます。

玄関の中に見える部屋は「正庁諸役会所」、当時の来館者の控えの間です。そして床の間には「尊攘」の掛軸。
「尊攘」の掛軸は、映画の中で侍医・青山松延が大筆を走らせていました。このシーンが撮影されたのが、こちら「正庁正席の間」となります。
「尊攘とは尊皇攘夷のこと。尊皇とは・・・・」
この部屋にある掛軸は「弘道館記碑拓本」
弘道館建学の精神や教育方針を記したこの石碑は、弘道館公園内の「八卦堂」に納められています。

正庁から至善堂へつながる畳廊下へ進む前に、左側には「厠(便所)」があります。
ここが映画の中では水戸・斉昭の屋敷の厠として撮影され、斉昭公が突然苦しそうに胸を押さえるや前のめりに崩れ、倒れた場所です。心筋梗塞にて急死。享年60歳。

続いてこちら「至善堂」の入側(縁座敷)
三月五日 夜八つ(午前二時)手燭を手に武田耕雲斎(榎木孝明さん)が斉昭の寝室の前に来る。「武田耕雲斎です。火急の用件にて、申し訳ありませぬ」
二の間の襖を開けて、寝室に入るシーンです。
こちら(↓) 二の間から至善堂御座の間へのアングル。

この場に立つだけで、北大路欣也さんがすごい迫力でこちらに向かってくる姿が目に見えるかのようなこのシーン。
「水戸は徳川の分家。いかに専横であろうと、大老を暗殺するとは幕府に弓を引く仕業じゃ。事件に関わった者は藩の名誉にかけて、必ず捕らえ、大罪に処せ」 至善堂御座の間は、明治維新に将軍職を辞した徳川慶喜公(斉昭公第七子)がここにあって恭順の意を表し、静かに朝廷の命を待たれた由緒あるところで、国の重要文化財に指定されています。 歴史って深イイ。ゾクっとします。


至善堂御座の間は、映画の中では水戸・斉昭公の屋敷という設定で、先ほどの寝室のシーンの他、お味噌汁をのみながら武田耕雲斎と外国との通商貿易について話をするシーン、そして、金子孫二郎、高橋多一郎が勅書をめぐる問題で斉昭公の前に控えているシーンが撮影されました。
こちらが、至善堂御座の間から二の間へのアングル。
この敷居の向こう側に、金子孫二郎と高橋多一郎が控え、斉昭公に頭を下げています。
斉昭:
「今は耐えるのだ、金子、高橋」
斉昭:
「予は水戸藩の取り潰しを恐れているのではないぞ。恐れているのは、取り潰しになった場合の藩士、領民のことだ」
正庁から至善堂へつながる畳廊下でも印象的なシーンが撮影されています。


設定は、小石川の水戸藩邸の廊下。
押掛登城の罪名で謹慎処分が下ったとき、そして、世に言う「安政の大獄」で水戸に永蟄居を命じられたときに、多くの藩士たちが平伏し、中には肩を震わせて泣きながら斉昭公を見送るシーンでした。

弘道館公園内にも、梅が60種800本植えられています。
全体的には1~2分咲きですが、中にはこの写真のようにすっかり見頃を迎えている品種もあります。(2月5日撮影)
キレイです♪
水戸の梅まつりは、2月20日(日)~3月31日(木)
http://www.mitokoumon.com/maturi/ume/ume.html
今年は弘道館開館170年記念。いつもは偕楽園だけしか足を運ばない方も、今年は是非、弘道館の梅を、そしてロケ地探訪をたっぷりお楽しみ下さい♪