突然ですが司馬遼太郎氏はこのようにのべてます。
「徳川300年の歴史は
武士道を生み出し、
それがやがては幕末、開国への大きな原動力になった」と。
武士道とは、刀剣というものにおのれの命を託した
武士の生き様。
基本的精神は
仁・義・礼・智・信。
この精神性のもと、時にはおのれの命を賭けてでも生き抜く。
映画『桜田門外ノ変』では命を賭してでも
それぞれの信念のもと行動していた人々を描ききります。
映画の主人公、
大沢たかおさん演じる関鉄之介は
命を賭して戦う仲間を見届ける現場指揮官。
事変後、幕府や水戸藩からの追手から逃れながら生き続けます。
鉄之介はその逃亡生活の中で
越後国(新潟)の水原村へ向かいます。
水原村の喜三郎という商人に藩の金を貸していたので
その金を返してもらうためでした。
鉄之介は事変前、徳川斉昭から蝦夷出張の任を与えられ
その準備のために代官所がある
越後国水原村に行っていたんです。
おそらくここ
水原代官所に立ち寄っているはずです。
<住所>新潟県阿賀野市外城町10番5号
実は今年の夏、日帰りで新潟に行ってきました。
関鉄之介捕縛の地新潟県関川村へ行き、
帰りながら新潟県阿賀野市の水原代官所跡に立ち寄りました。
事変前、鉄之介はこの地から江戸によばれます。
これはきっちょむさんの10/17のブログ記事
『ロケ地探訪』(1)「久慈川」(大子町)の中で
詳しく紹介されていますのでご覧ください。
事変後は、この地から
関川村湯沢温泉へ逃亡。
文久元年(1861年)10月23日に捕縛されました。
幕府の直轄領だった
水原村は、鉄之介にとって
事変前は水戸から遠く離れてはいても幕府の仲間が集う心休まる土地。
しかしながら事変後は追手が迫りくるかもしれない
居心地の悪い土地になってしまいました。
斉昭の悲願であった蝦夷地開発。
それを叶えるために越後国を奔走した若き日の鉄之介。
もしかしたら殿様との約束を結実できなかった無念さが
自分の最後の場所として越後国を選ばせたのかもしれませんね。
新潟県阿賀野市(旧水原村)は武士だった鉄之介の生き様に
想いを馳せることができる素敵な街でした。
本日、10月23日は関鉄之介が自分の最後を覚悟した日です。
ところで話は変わって6年前の10月23日、
新潟県中越地震が起きました。
最大震度7を観測、68人が犠牲となり、
12万棟を超える家屋が被害を受けました。
ニュースで追悼行事が行われた様子を見ました。
3000本のろうそくがともされたそうです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
武士も現代人も命の重さは変わらないはず。
ちょっとシリアスに命について考えたテリーでした。
※過去の記事
【関鉄之介ゆかりの地】~新潟県関川村~
【関鉄之介ゆかりの地】~大子町袋田~