今回の
【墓参ラーのススメ】は
妙雲寺(水戸市見川町)を紹介します。
妙雲寺には眠っている桜田烈士は1人。
他にも水戸藩士が多数眠っている墓地です。
そして、なんとあの人の供養塔が水戸に???
①広木松之介(水戸藩評定所物書雇、自刃/25歳)
事変では激しく切りあうが、大きな負傷もせず現場を離れ、加賀辺に潜入。
その後各地を放浪し鎌倉にたどり着く。
自訴した仲間の処刑が行われる中、事件後満二年目の文久2年(1862)3月3日、鎌倉の
上行寺で切腹。
②武田耕雲斎(幕末尊攘派の水戸藩士、斬首/62歳)
9代藩主
徳川斉昭の藩政改革の尽力した改革派の重臣。
天狗党の乱の総大将となる。加賀藩敦賀の海岸で斬首。
③無縁供養塔
妙雲寺の創建は慶長元年(1596)法雲院日道聖人が開山。
延宝6年(1678)に藩主
徳川光圀により現在の地に移ってくる。
天保14年(1843)、藩主
徳川斉昭が大砲鋳造のため、梵鐘の供出を命じたところ、妙雲寺はこれに応じなかったため一時廃寺になる。
その時に取り残された墓石をまとめてあります。
水戸の名もなき先人たちの魂が眠っている場所です。
④三木之次・三木武佐
徳川光圀育ての親、水戸藩家老の三木之次夫妻。
二人を祀った神社が常盤神社にあります。
これについては別の機会に触れます。
⑤大老井伊掃部頭直弼台霊塔
桜田烈士広木松之介が持ち帰った井伊掃部守直弼の首を祀ったとされる台霊塔。
昭和43(1968)年に、三木啓次郎氏によって建てられました。
妙雲寺には井桁に橘の家紋が…これは井伊家の家紋と同じ。
う~ん、歴史は奥深い。
※1/16追記
⑥小野角衛門(国学者 徳川光圀の傅)
傅(ふ)とは補佐役・お守り役という意味。
「かぶき者」だった若き日の光圀の家庭教師。
若いころ光圀は学問などに関心なく、小野角衛門はかな苦労したようです。
妙雲寺の歴史は江戸時代の水戸藩の歴史そのものでした。
次回の
【墓参ラーのススメ】は
光台寺と
祇園寺を紹介しま~す。
テリーでしたぁ。
★過去の記事★
【墓参ラーのススメ】 vol.0 ~墓参りのマナー~
【墓参ラーのススメ】 vol.1 ~常磐共有墓地①~
【墓参ラーのススメ】 vol.2 ~常磐共有墓地②~
【墓参ラーのススメ】 vol.3 ~常磐共有墓地③~
【墓参ラーのススメ】 vol.4 ~常磐共有墓地④~
【墓参ラーのススメ】 vol.5 ~酒門共有墓地~
【墓参ラーのススメ】 vol.6 ~神崎寺~
★お願い★
参拝先の墓地の中には、観光地化されている場所もありますが
一般的に行われる先祖の墓参りをする方がいることがありますので,
「墓地に来ている」という意識を持ってマナーを守り、過去の偉人を称えましょう。