ロケ地探訪(第3回)
「常陸第三宮 吉田神社」 -茨城県水戸市-
Scene14 浅草観音・境内(夜)
T 江戸・浅草
桜の花の紋の提灯を手にして、町人姿の増子金八が
お百度参りをしている。
石灯籠の陰から「カン」と声が掛かる。増子、足を
止め「ノン」と答える。
石灯籠の陰から姿を現す関鉄之介。
増子、無言で懐から出した紙片を関に渡す。
きっちょむです。こんばんは☆
映画をすでにご覧になった方はこの「カン」「ノン」の合言葉で、「あぁ、あの場面か」とピンと来られてる方も多いでしょう。きっちょむもお気に入りのシーンです!!
このシーンの撮影が行なわれたのは、
常陸第三宮 吉田神社 (水戸市宮内町3193-2) です。
ここ
吉田神社は、鹿島神宮、静神社(桜田烈士の斉藤監物が神官でした)に次ぐ常陸国の第三宮。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷平定の帰途、兵をこの地朝日山に憩わせた由縁を以って、この地に神社が創建されました。
また、徳川光圀公は特に当社を崇敬し、寛文八年(1668)社殿を造営。更に、徳川斉昭公は天保十五年(1844)当社を水戸藩総鎮守と定め、社領100石と『大日本史』が寄進されています。
更に詳しくは、吉田神社様の公式ホームページをご覧になって下さい。
http://www.yoshidajinja.jp/index.html
さて、映画の撮影は吉田神社境内の
「天満宮」で行なわれました。
前日にクランクインしたばかりの撮影2日目、今年1月21日(木)の夜間でした。
きっちょむが写真を撮る許可はいただいてたのですが、あまりもの張り詰めた現場の雰囲気に、1度もシャッターを切ることができませんでした。(^^;)
確か、映画の中では↑このようなアングルだったでしょうか。そろばんの付いた「百度石」こそ美術セットのため現在はありませんが、「うわぁ、映画と同じ!!」という感動を味わえます。
ロケ地巡り、最高!!
では、地図です。いつものように、広域地図から。(クリックで拡大されます)
続いて、A部を拡大した詳細地図です。赤文字のところは、この後お話させていただく場所です。
公共交通機関でのアクセスは、次の通りです。
「水戸駅」から 関東鉄道バス「吉田神社前」下車
《 北口 3番 のりば 》
吉沢車庫 行/運転免許センター 行/茨城町役場 行/茨城東高校 行
《 南口 2番 のりば 》
吉田小学校経由吉沢車庫 行/四中経由吉沢車庫 行
吉田神社は、水戸市街を一望できる高台(朝日山)に建っていて、対面には水戸城址の高台も見ることができます。「空気」がなんとも気持ちいい場所。もしや、パワースポットかしらん♪
では続いて、詳細地図で赤文字を入れたところをご紹介。
まず「藤柄町」のおはなし。
映画の終盤「官軍の入城」シーンで、鼓笛隊の笛の音を演奏して下さっているのが、吉田神社祭礼の山車でも大活躍の
「藤柄若連」の皆さま。
音録りの様子は、以前スタッフブログでご紹介させていただきました。
2010年 1月 16日「篠笛の音と冬の空」
http://mitoppo.exblog.jp/9678101/
篠笛
「藤柄若連」様
そして、太鼓は
大洗町を拠点に
活動されている
「MARCHING BAND
COURAGE」様
皆さまにはこの音録りだけでなく、1月23日にオープンロケセットで撮影された官軍入城シーンの撮影にも鼓笛隊としてご協力いただきました。ありがとうございました。<(_ _)>
続きまして、『桜田門外ノ変』原作にたびたび登場するこの
「銷魂橋(たまげばし)」
江戸時代に水戸城下の出入口に当ったこの橋は、水戸~江戸・日本橋間、二十九里十九町(約116km)を結ぶ江戸街道(江戸からみれば水戸街道)の起点。街道の宿駅は十九箇所、行程は通常二泊三日でした。
はじめは「七軒町橋」と言われていたようですが、水戸を去る人々がこの橋で別れを惜しんだので、徳川光圀公は元禄三年(1690年)、「銷魂橋」と名を改めたのだそうです。
この銷魂橋が掛かっているのが、
「備前堀」です。
備前堀は、初代藩主・徳川頼房の命を受けた幕府代官伊奈備前守忠次により、慶長十五年(1610年)に造られました。下市や常澄地区の農業用水の導水と千波湖の洪水対策が目的でした。
現在、堀沿いが整備され、水辺の憩いの場として、とっても綺麗な景観となっています。
是非、お出掛けになってみて下さ~~い。
書くのにまた3時間掛かってしもうた。。。 きっちょむでした!