きっちょむです。当ブログへのご訪問、毎度ありがとうございます!!
9月20日まで皆さまにご投票いただきました「映画『桜田門外ノ変』原作を読んでから観る?」には46名様からのご投票をいただきました。ありがとうございました。
私の事前の予想を遥かに超え、約7割の方がすでに原作を読まれたという結果には、正直驚きました。 私たち『桜田門外ノ変』映画化支援の会は、映画つくりが目的ではなく、映画を切っ掛けとして、郷土・茨城の歴史や文化、自然に目を向けようというのが狙いなんです。 ですから、このように映画を観る前にこんなに多くの方が原作に触れていただけた事は、本当に嬉しいです!
原作を既に読まれた皆さまにオススメしたいのが、『桜田門外ノ変』と非常に関係の深い、同じ吉村昭さんの著した『天狗争乱』(新潮文庫/654頁/860円)です。 個人的には、『桜田門外ノ変』よりも読みやすく感じましたし、茨城県にお住まいの方なら、県内各地の地名が登場しますので、興味を持って読んでいただけると思いますヨ。
斉昭紀行(第5回)は、この『天狗争乱』でたびたび登場する「神勢館・五町矢場」をご紹介します。
斉昭紀行(第5回)「神勢館・五町矢場」 -茨城県水戸市-
国道6号線の那珂川に掛かる水戸大橋付近に、こんな史跡があった事を知る人はきっと少ないと思います。
水戸藩九代藩主・徳川斉昭公(烈公)が、藩士の砲術訓練場として、この細谷の地に、神勢館五町矢場を嘉永5年(1852年)に着工、翌年10月に竣工しました。矢場は、神勢館より五町(約550m)離れた場所に、高さ15間(約27m)巾40間(約72m)奥行30間(約54m)あった大砲の的のことです。
高さ約27mというと、桜田烈士集結の地「愛宕山」(標高25.7m/東京都港区)とほぼ同じ高さですね。那珂川に掛かる水戸大橋が橋長483メートルですので、その縮尺をもとに下の図と航空写真を見比べてみると、不自然に緑が残っている部分があり、そこが矢場の跡なのかな~と思います。
神勢館は、明治維新の戦乱の兵火に遭い、元治元年(1864年)8月に焼失し、再建されずに廃止されました。幸い矢場は取壊されずに残り、地域住民から「五町矢場」として親しまれ、付近の学童は遠足に来て遊び廻り、矢場の上から筑波山や那珂川の流れを見たりしたそうです。昭和9年には県より史跡に指定されました。
しかし、那珂川が氾濫を繰返し、付近の住民に多大の被害を与えたため、国として那珂川に堤防を造ることを決め「五町矢場」はその河川敷となり、昭和25年の秋に取壊され、堤防の土の一部となり、姿を消してしまったそうです。
今は、こんな感じ。
野球グランドになっています。
なお、現在の国道6号線の水戸以北は、むかし「陸前浜街道」と呼ばれ、ここ細谷から新舟渡を経て対岸の枝川に通じ、水戸藩時代は交通の要所となっていました。西に藩の新御蔵、南には重臣の蔵屋敷が置かれ、枝川には宿屋が並んでいたそうです。
このように、歴史をちょっと知っていると、現代では何の変哲もないグランドや橋が一味も二味も違って見えてきて、なんかトクした気分です♪
『桜田門外ノ変』と『天狗争乱』を読んだときに、『天狗争乱』では武田耕雲斎(映画では榎木孝明さんが演じています)が、またひとり“幕末の波に飲み込まれた男”として悲運の生涯を閉じています。
武田耕雲斎のお墓
水戸市見川町2-103-1
妙雲寺にあります。
オープンロケセットから約2kmと近いので、是非、お参りしてみて下さい。
[バックナンバー]
・斉昭紀行(1)「反射炉跡」
・斉昭紀行(2)「助川海防城跡」
・斉昭紀行(3)「千束原追鳥狩本陣跡」
・斉昭紀行(4)「弘道館」
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