斉昭紀行(第4回)「弘道館」 -茨城県水戸市-
水戸第九代藩主・
徳川斉昭公(烈公)が天保十二年(1841年)に藩校を創立し、水戸藩士の子弟に文武の教育をしたところで、これを
「弘道館」と名付けました。その主義・精神は日本古来の倫理道を基本とし、これに中国に発した儒教の道徳を採用したもので、世に
水戸学と称せられました。
当時は、
正庁、
至善堂を中心として
文館、
武館、
医学館、
天文台等が配置され、梅林の中には
鹿島神社、
孔子廟、
八卦堂、
学生警鐘(鐘楼)等があり、敷地面積約178,000㎡、総合大学のような偉容を示していました。
-正庁-
この弘道館正庁は、藩主や重臣が列席して、試験や儀式を行なったところで、奇跡的に戦災を免れ、重要文化財に指定されています。写真右手前は、武術の試験が行われた「対試場」で、正庁正席の間から藩主や重臣が学生達の試合をご覧になったところです。
-正門-
弘道館創設時に建てられた正門で、重要文化財に指定されています。本瓦葺き四脚門という建築様式で、屋根瓦には葵の紋があります。藩主の来館や諸儀式を行なうときのみ開門しました。門柱や扉などにみられる傷跡は、明治元年(1868年)におきた弘道館の戦いと呼ばれる藩内抗争の銃撃戦でできた弾痕です。
普段は正門が一般開放されていませんが、主に「梅まつり」期間中の週末などに特別一般開放されることがあります。
-至善堂-
一の間は藩主の座所、その他の三室(二の間、三の間、四の間)については、諸公子講学の場所にあてられました。明治維新に将軍職を辞した徳川慶喜公(烈公第七子)がここにあって恭順の意を表し、静かに朝廷の命を待たれた由緒あるところで、国の重要文化財に指定されています。
-孔子廟(戟門)-
弘道館は孔子の教義を採用し、その廟を安政四年(1857年)館構内に建立して、孔子神社を廟中に安置してその霊を祭りました。大成殿を模した総﨔瓦葺、入母屋造りの建物は、昭和二十年八月の戦災で焼失(昭和四十五年再建)しましたが、この正門(戟門)と左右の土塀は災禍をまぬがれました。
-学生警鐘-
この鐘は、徳川斉昭公(烈公)自鋳のものといわれ、弘道館内の学生に時を告げたり、事あるときの知らせに用いたもので、一般の寺院にある梵鐘とは趣きを異にした独創的な作りになっています。鐘の内面には、烈公自筆の鋳造由来が、また表面には自詠の和歌が浮き彫りにしてあります。
-種梅記碑-
この碑には、徳川斉昭公(烈公)が天保四年(1833年)就藩したとき、領内に梅が少ないことを知り、江戸屋敷の梅の実を集め、水戸に送って育苗し、偕楽園や弘道館、さらに領民の家々まで植えさせた由来を記してあります。
-八卦堂-
八角形の建物の各面上欄に八卦(易)の算木が取り付けられ、堂の中には弘道館建学の精神や教育方針を示した「弘道館記碑」が納められています。現在の堂は、創建時のものが昭和二十年八月の戦災で焼失したため、昭和二十九年に再建したものです。
「弘道館公園」オフィシャルサイトはこちら
http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html
(水戸市三の丸1-6-29 水戸駅より徒歩で約8分)
弘道館でも、映画『桜田門外ノ変』の撮影が行なわれました。
今回は、建物の外観のみを写真でご紹介しましたが、正庁、至善堂の建物内にただよう“本物”(=幕末リアリズム)の雰囲気を、是非! 是非!!、実際に足を運んで体感していただきたいと思っています。
7月25日(日)のイベントで初めて水戸にいらっしゃる方も、地元の方も、ちょっと早めに家を出て「弘道館」に立ち寄ってみませんか?
きっちょむでした。
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映画『桜田門外ノ変』オープンロケセット・記念展示館のご案内
http://mitoppo.jp/openset2/index.html
(7月25日(日)は臨時休館致します。どうぞご了承ください)